2008年8月15日金曜日

勝ち負けのあとに

オリンピックで勝った人、負けた人。 勝負のあとにでてくるその選手の本質が生なましい。

いま、ワタクシがやっている業務は、 その瞬間ごとに勝ち負けがはっきりとわかる性質だ。

まわりからみれば、ボーっとパソコンを眺めているように みえるだろうが、心中穏やかではない。


勝っていても、相場が急に変わる恐れを常に抱いているし、
自分の考えがうまくパフォームしていても、
それが得ることができる最大の利益額だったのか自問自答し、
そこに慢心がなかったのか、驕りはなかったのか、
世界中の誰よりもクールでいることができたのか、
いいようのない精神状況に追い込まれる。
決して満足できる日はない。

水泳の北島選手が200Mで金メダルをとっても、 ちょっと悔しいとコメントしていた。
生意気ともむかつくとも思えない。
本当にそうなのだろう。

負けているときは、なぜ自分が存在するのかさえ疑ってしまう。
なぜ、自分がそう考えるのかを常に問い続け、
一方で、自分がここにいなければ、 損失は生まれなかったのではないかなどと悩んでしまう。

柔道の鈴木選手の悔し涙。
金メダルをとると公言していた彼が、 そして、日本中でそう信じられていた彼が、
あっさりと一本とられてしまう。

口だけ野郎だと彼は言っていた。

どんなにロジカルで、どんなに真実を述べることができても、
自分の賭けたポジションが損をだすならば、 負けは負けでしかない。

自分は本質を正しくつかんでいるが、 市場が混乱しているなどという輩が多い。
まったく意味がない。

市場の混乱具合を読みきれなかった奴が負けているにすぎない。
負けは負けなのだ。

鈴木選手はどんな風に、自分の負けを受け入れるのだろうか。