2009年8月25日火曜日

「蜃気楼」と「教祖」 ― あまりにも偏った人物眼



この「幻想曲 孫正義とソフトバンクの過去・今・未来」は、
日本の不動産バブルや金融危機、ITバブルのころのことを纏めた雑誌の記事としては秀逸の出来だといえる。


ただ、この本の一貫したテーマとして、どうもこの著者は孫正義氏に対して過度にネガティブな表現を使っていることが気にかかる。


タイトルの「幻想曲」は、もともと「蜃気楼」という予定だったそうだ。
現役でビジネスをしている者を評するのに「蜃気楼」とは、どういうつもりなのだろうか?
そして、孫からの蜃気楼というタイトルを変えてほしいという希望を受けての代案が「幻想曲」。
なにか、歪んだ意図を感じざるを得ない。


以下はどうしても看過できない文章の例だ。
「孫は"失われた10年″と呼ばれた時代に最もその輝きを見せた」
「その役割を一回り以上の若い世代に譲り渡した」
「最終的に経営者として名と実を残すのは後者(=楽天の三木谷氏、ライブドアの堀江氏)のような気がする。なぜなら孫は、経営者ではなく、やはり時代が生んだ一大の梟雄に他ならないからだ」

一方で、この著者は「“教祖”降臨―楽天・三木谷浩史の真実」という本も執筆している。





ソフトバンクの孫氏は「蜃気楼」で、楽天の三木谷氏は「教祖」ですか??

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